ちよろず
お疲れ様です。
今日は竹橋の国立公文書館に行って来ました。
企画展示「戊辰戦争 菊と葵の500日」
開戦鳥羽伏見の闘いから終幕五稜郭闘いまで
新選組盛り沢山でした。
中でも江戸城多聞櫓旧蔵の新選組関連文書の展示が嬉しく。
新撰組手負之者医学所江罷越之儀申上候書付
(ておいのものいがくしょへまかりこしのぎもうしあげそうろうかきつけ)
新撰組手負之者山口次郎医学所江罷越之儀二付申上候書付
(新選組手負いの者、山口次郎医学所へまかりこしのにつきもうしあげそうろうかきつけ)
鳥羽伏見の闘いの後、新選組は大坂から江戸へ富士山丸で移動。最初に横浜に寄港し負傷者の多くは横浜医療所に入院。その後品川港へ。
疾病や負傷者は幕府医学所に運ばれました。
医学所は、神田お玉ヶ池にありました。
現在の東大医学部の前身です。

写真の書付は、入所の際の負傷者の名前を報せるものです。一月十八日に隊長近藤勇、隊士五名が診察を受けています。翌日十九日に山口次郎が入所する書付が残っています。

とても小さな紙に小さな字で書かれたものでした。
新選組が新撰組
次郎の表記
奥田庄司は沖田総司の事と思われます。
字母が違うことについて、昔は音のまま表記するので
偽名なのか判断はつかないです。
この書き付けの署名は松本良順、佐藤政三助、井上忠八郎
医学所は幕府直轄の施設で、入所申込み書き付けが必要だったのでしょう。
山口二郎は、鳥羽伏見の戦いで負傷していたことが判ります。