小石川散策

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こんにちは。先日、久しぶりに東京小石川へフィールドワークに行って来ました。

散策目的は明治期に設立された礫川(れきせん)尋常小学校の場所の確認とお穴さま「澤蔵司(たくぞうす)稲荷」のある慈眼院です。数年ぶりの伝通院富坂界隈。

礫川尋常小学校は明治初期に学制が敷かれて間もなく設立された、我が国最初期の小学校です。文京区の資料によると、伝通院の開山堂を校舎として使っていたそうです。
伝通院は現在、本堂と嘗てあった書院の一角、墓所が残っています。明治期まで富坂一帯に広範囲な境内を持つ寺院でした。古地図を見ると、春日通りに面した門前から内側に沢山の寮があります。傳通院は学寮としての役割を持ち、僧侶の修行の場でした。

古地図で見ると、現在の春日通りに面した表門の中の「福寿院 大黒天」に、開山堂が建っていました。このお堂が尋常小学校の校舎として使われ、現在は門前通りの幼稚園になっています。

伝通院の現在の本堂は近代新しく建てられたものです。ここは幕末に清河八郎、近藤勇や土方歳三、沖田総司、芹沢鴨など浪士御集まりが結集して京へ向かい出立した地。その際決起集会した処静院は、もう境内には残っていなくて門の左側に碑が建っているだけです。伝通院の歴史は古く、徳川家徳川家所縁の菩提寺で家康公の実母於大の方、千姫や亀姫の墓所があります。歴史上の人物では清河八郎。文化人では佐藤八郎、柴田錬三郎のお墓もあります。


今回は門前の春日通りではなく、お寺の山門のすぐ左の善光寺坂を小石川に向かって下っていきました。とても美しく道が舗装されています。江戸時代に伝通院書院があった辺りは現在淑徳学園になっています。(上の写真左側)

坂の中程にムクの大木(ご神木です。説明はのちほど)

ムクの木のすぐ前に慈眼院入口(江戸時代より伝通院の分院です)澤蔵司稲荷神社。

境内本堂の右側の石段を下りると、鳥居が連なるくぼ地が。


奥にある台の下の小さな鳥居の向こうがお穴さま。ご霊窟です。

お寺の本堂のご本尊の澤蔵司は言い伝えでは、聡明な僧侶でわずか三年の修行で仏典の奥儀を習得したそうです。不思議な言い伝えがあって、澤蔵司は村人たちに姿をいろいろな場所で同時に目撃されたり、お蕎麦が好物で伝通院門前の蕎麦屋によく食べに来ていたそうですが、お代を払った後に銭が木の葉に変っていたりしたそうです。このお坊様の正体は狐神で、霊窟に入って姿を消したと伝わっているそうです。
洞窟は千代田城(江戸城)にあった大明神と繋がっている伝承もあり、澤蔵司稲荷として祀られるようになりました。


実際、江戸時代、この辺りには狐穴があったらしく。お穴信仰と一緒にローカル伝承が生れたのでしょう。慈眼院は十一面観音像と澤蔵司像がご本尊として祀られています。お寺の偉いお坊様が狐神で、境内にお稲荷さまとして信仰されているのは、明治期以降も神仏習合が存続していたことを示していますね。徳川家所縁の伝通院ならではなのかも。その点、興味深いです。

お寺の本堂の唐破風飾りに白い狐が二尾。なかなか素敵です。

境内の至る所にある古い石の狐像。よく見ると、鼠を捕まえていたり、蛙を足元に置いていて面白い。この辺りは田端も多く実際に狐が鼠や蛙を捕まえる姿を昔の人々は目にしていたことが伺えます。境内の正面に立つ大きなムクの樹は、この澤蔵司が宿るご神木として信仰されています。もう10年近く前に初めてこの界隈を歩いた時に、このご神木の根本に大きな錆猫が居て気持ちよさそうに日向ぼっこをしていたのをよく覚えています。


澤蔵司が好んで通っていた門前のお蕎麦屋さん「稲荷蕎麦萬成(まんせい)」は400年の歴史を持つ老舗です。現在も初釜のお蕎麦を漆塗りの箱におさめて毎朝慈眼院に奉納しているそうです。名物の「稲荷箱蕎麦」を頂いて来ました。細めの蕎麦に辛目のそばつゆ、甘いきざみ揚げが載っています。美味しかった。


お穴さま信仰は不思議ですね。洞窟や鍾乳洞、古代人の造った古墳など地形を利用した人工物も時として昔の人は「お穴さま」として信仰したらしく。関東圏に点在していて、興味が尽きないです。

ブログを読んでくださってありがとう。